吹上町の歴史(名称の由来など)
①阿万の名称由来
昔の阿万郷の区域は、現在の阿万地区はもちろん、灘、上灘、由良および和歌山県の加太も含めた大変広い地域だったと言われています。
そして、阿万の名称由来は、この地域に大勢の海人が生活しており、その海人の名を取ったものと言われています。また、阿万の海人の獲得物は、朝廷に献上したこと、あついは現在の塩屋において、製塩を営んでいたことなどが霊異記に記されています。
②吹上町への入植
室町時代から戦国時代の頃、この辺りを統治していた三好氏が土佐の長宗我部元親の襲撃を受けた際、敵将尾藤源内正宗を討ち取ったことで感状をもらった阿部弐日太夫政吉だったが、その子孫である吉衛門、彦右衛門、甚衛、長助の4人は、港浦に流れ着き、吹上町に入植したようです。
③江戸時代ごろの統治
大阪夏の陣(1615年)で徳川方についた蜂須賀氏が阿波の統治を任され、当時は阿波藩だった吹上町も蜂須賀藩主の名に従い庄屋制度をひきました。庄屋制度とは、武士が農村などを統治するために置いた役職で、村長であり役場職員であり徴税官の役割を担っていました。
吹上町にも庄屋が置かれ、明治4年の廃藩置県に伴い廃止されるまで田村氏が強めていました。また、庄屋の下には5人組と呼ばれる徴税官と警察を官兼ねたような人がいて、土地の測量や紛争解決などもこの人たちがあたっていたようです。ちなみに、最後の5人組が、阿部卯三郎氏、阿部万作氏、阿部金平氏、鈴木治平氏でした。